1「人間らしく生きる事は、難しいことなのか」

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 初めまして、kiraです。音楽を愛する男性です。

 この度、Twitterを初めましたので、ブログも始めました。伝えたい事、想っている事を、一人でも多くの人に届けられれば嬉しいです。初心者なので、失礼な点などがありましたら大変申し訳ございません。逐次、猛勉強して改めます。

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4「死生観」

 

 明日死ぬとしたら、あなたは今日という一日をどう過ごしますか?

 

 今日は生きると死ぬという事がテーマの記事です。受け手によっては、センシティブな内容にあたる為、気分を害したり、不快な想いをされぬ様に、ここでご閲覧を停止して頂きますようお願い申し上げます。

 

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 突然ですが、この数字の意味する物が分かる人は居ますか?

 

 これは、人間が生まれてから死ぬまでを寿命80年だと仮定して、一日平均睡眠時間8時間を引いて、一日の活動時間を16時間と仮定し、16h×365日=5840h

 

 5840h(一年で私達が使える時間ー個人差は大分あると思いますがー)×80年をした数字です。

 

 私が、今まで見て来たWEBサイトや、ブログの記事等では、この数字に触れている物はありませんでした。

 

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 「しか」生きられない。

 「も」生きれる。

 

 これは個人の価値観によって、大きく左右される物だと思います。私は前者です。

 

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  時間しか生きられない。その時間をどう使おうと個人の自由です。

 ですが、時間が「有限」だと心の底から感じた時、あなたは、まだ

 「も」生きられると本当に思いますか?

 

 私が、「死」に始めて触れた時は、小学校低学年だったと記憶しています。祖母が病魔に侵され60代という若さで、この世を去りました。

 

 入院先からの病院から、最期を看取った母から電話がありました。あまりの突然の知らせに、わあわあ泣いたのが記憶にあります。

 

 大好きだった、おばあちゃん。学校から帰って来ると、いつも其処に居てくれていた、おばあちゃん。時には叱ってくれ、時には抱擁してくれた、大切な、おばあちゃん。

 

 通夜や、葬式を終え一段落が着いた頃、私は仏壇の前で一心に祈りました。

 

「おばあちゃん、もう一回会いたいよ。おばあちゃん、もう一回笑ってみせてよ。おばあちゃん、おばあちゃん・・・」

 

 涙で前が見えなくなるまで泣き明かしました。でも、おばあちゃんは帰って来ませんでした。

 

 「ただいま」を言う相手が居なくなったという事実が、その簡単な事実が、人が死ぬ事なのだと私は、その時感じました。

 

 

 

 その他に、私の近親者で二名の方が「自殺」で命を絶っています。

 

 一人は、普段から仲が良かったご婦人です。

 一人は、同級生の兄弟です。

 

 どちらとも、時間の差はありましたが、交流があり「自殺」と言う悲しい知らせを聞いた時は、ショックでした。

 

 近しい人から聞いた話ですが、やはり各人がそれぞれ悩みや孤独を抱えていたという事実でした。

 

 おばあちゃんが死ぬだけでも、辛い想いをした私でしたが、ごくごく身近な、それも身内が自殺で死ぬなんて、家族からしたら、どれほどまでのショックでしょうか。大人になった今、それをつぐつぐ感じます。

 

 そして、私が始めて「死」を意識したのは35歳の秋でした。

 

 季節が冬へと変わろうとして来た時分、人間関係で悩んでいた私は、夕方近くにコンビニで大量のアルコールを買い込み、近くの駅で電車に乗りました。

 

 終点を過ぎ、ホームでタバコを吸ってる時、行き交う電車に目が眩みました。

 

 「この線路に飛び込んだら、どんなに楽になれるだろう?今までの辛い気持ちから解放されるのだろうか?」

 

 その場は、何とかしのぎましたが自宅に帰ってからアルコールの反動で、大きな鬱の波が来ました。毎日「死」を意識しました。

 

 横になって、布団にくるまりながらネットで「死」について漁りました。

 

 遺書も書き、毎日服用している睡眠薬を大量に準備し、後はアルコールを買い込んで、近くの崖に行くだけと言った中、数日が過ぎました。

 

 そんな中、電車へと飛び込み自殺を図った

 「りゅうき」さんと「minmin」さんの存在を知りました。調べれば調べる程、言葉にならない気持ちになりました。

  私は彼と彼女の「何者」でもありませんが、彼と彼女からしたら、私の悩み等、本当にちっぽけなものだと感じました。

 

 確かに、悩みは人それぞれです。大小様々です。他人からしたら、小さい事でも本人からしてみたら大きな悩みだったりします。

 

 そして私は、りゅうきさんminminさんから教わりました。命は時として儚いものだと、命は時として残酷な一面を覗かせるのだと。

 

 ならば、残された私たちに出来る事とは?

 

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 この限りある刻みを、丁寧に丁寧に、包み込む様に優しく、労わりながら、「今」を大事に生きる事だと私は想います。

 

 それが残された者たちへの、二人からの「メッセージ」だと私は想っています。

 

  

  令和四年2022年、4月29日金曜日、午後17時現在、私は日本に居ます。

 しかし、TVを付けると毎日ウクライナへの軍事侵攻のニュースが流れています。

 

 愛する家族を砲撃で亡くした方、愛する家族と突然生き別れになった方。見殺しにされる動物。

 

 筆舌に尽くせない程の苦しみ、悲しみだと思います。

 

 おばあちゃんの命、自殺で失われた命、侵攻によって失われた命、動物達の命、どちらをとっても大切な「命」です。

 

 「命」に差はありません。

 

  ですが

 

 「命」には「時間」が限られています。

 

 不幸にして、その時間が早まってしまった人達の分まで、私達は「今」を生きるべきでは無いでしょうか?

 

   生きたくても生きれなかった「命」の分まで生きていく、残された者の「責任」があると私は思っています。

 

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 あなたなら、どう生きますか?

 

 

 

 長々と、ご閲覧ありがとうございました。

 それでは、またの機会にお目に掛けましょう。

3「私が考える本当の教育」

 

 

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 「教育」って一体、何なのでしょうか?皆さん、真剣に考えた事はありますか?

 

 私は、学とは無縁の程遠い人生を歩んできたので、自分の人生観でしか話せませんが、ここには、こう記されています。

 

 ”教育”ー1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、心身両面にわたって、意図的、計画的に働きかける事ー

 アプリ ースマート辞書ー

 

 「望ましい姿」とありますが、学校の先生が「一個人として望む姿」なのでしょうか?

 それとも、文部科学省の規定に沿った姿なのでしょうか?

 

 私は学生時代、勉強が苦手でした。好きな教科はありましたが、それ以外は全然身に入りませんでした。

 

 部活動もありましたが、それよりも勉強しているより、友達と遊んでいる方が数十倍楽しかったので、まず「遊ぶ」事が第一優先でした。

 

 学校では、常に目立ちたがり屋で、何か行事があると決まって率先しながら、ムードメーカーを務めました。それが、私の青春時代でした。

 

 当時、私は「勉強」する意味が全く分かりませんでした。数式や、公式、方程式は大人になったら、本当に必要な事なのか。

 

 バチカン市国の大きさ等、働いている大人達にとって本当に重要な事なのか。

 

 私が、今思う事は、やはりもっと「勉強」しておけば良かったと後悔しています。

 

 それは、沢山勉強して、いい大学に入って、いい会社に入って、いい給料が欲しかったからでは無いのです。

 

 学生時代「勉強」をする事によって「自分」「可能性」が大きく拓けるのだと、あの時、気付いておきたかったのです。

 

 私の個人的な理論ですが、人生には幾つもの「ステージ」が用意されていると、私は考えています。何歳から、何歳までがステージ1、何歳から何歳までがステージ2と言った具合にです。

 

 そのステージで、踏むべき「ステップ」をキチンと踏んで来なかったから、今の自分が居るのだと私はそう思っています。

 

 一生に一回しか無い人生、一生に一回しか無い学生時代、部活動に励み、多くの友人と時間を共にし、多くを語らい、時にケンカをしながらも友情を育むのも、大事な自分なりの「教育」でしょう。

 

 思春期を迎え、多感な時期、時には恋をする事もあるでしょう。好きな人の事で頭が一杯になって、この想いを相手に伝えたくて、伝えたくて、毎日が苦しいのも大事な、自分なりの「教育」でしょう。

 

 どちらも「青春」と言う名の公式でしょう。

 

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 だからこそ、大切な友人や、大切な恋人をもっと大事にする為にも、そして、自分自身の人生を、より実りある豊かな物にする為にも「勉強」が必要になって来るのでは無いのかと、私は考えます。

 

 今の子供達に「勉強」をする事の「本当の意味」を説ける先生は、今の日本に一体どれくらい居るのでしょうか?

 

 勿論、教師も人間ですから、個人の感情や、想い入れ、毎日のコンディション等も日々の指導に大きく影響するでしょう。

 

 それでも、教師、先生と言われる方々には、日々未来ある子供達に「勉強」をする事で、

”君の人生の可能性が大きく変わる事”

”君の将来の選択肢が飛躍的に増える事”

”君の未来の時間が素晴らしい物になる事”

 

 この三つを、常日頃から教え説いて欲しいと切に願って止みません。

 

 「教育論」には、いつの時代も賛否両論、是非が問われ続けています。

 

 頭ごなしに只、勉強しろ勉強しろと言っても子供達は、やらされている「勉強」になってしまい、いつまで経っても主体性の無い人になってしまいます。

 

 「教育」とは「勉強」とは「学ぶ」事とは、ただ単に教科書に書いている事を、そのまま教えるのでは無く、そのまま覚えるのでは無く、

 

 ノートを広げてペンを手にしている自分自身が、

 ノートとペンを使って、これからの素晴らしい人生を描いていく事だと私は思っています。

 

 これからの未来ある若者達が、しっかりと自分自身の「ステージ」の上で「ステップ」を日々、踏み続けて行く事を願っています。

 

 長々と、ご閲覧ありがとうございました。

 それでは、またの機会にお目に掛かりましょう。

 

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2「何をどう信じればいいのか」

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  今の時代何を信じていけばいいのか皆目見当が付きにくい時代です。スマホ、ネット、SNSの普及、日々加速していく現実。

 

 一日が三日経ったかのように感じる現在。私は主観ですが、時代が便利になり過ぎたと思っています。AIの進出により、世界だけではなく雇用形態等も大きく変わろうとしています。

 

ホリエモンさん”YouTubeで仰っていました。

「今の常識は十年後、二十年後、全く通用しなくなっている可能性が非常に高い」と

ー平成二十六年度 近畿大学”卒業式来賓スピーチ内一部抜粋”

 

 この言葉を聞いた時、私も考えました。常識って一体何なんだろう?ルール?マナー?モラル?当たり前の事?でも、その当たり前の事って一体誰が何処でどう決めたの?いつから?誰が作ったの?そんな疑問が湧いてきました。

 

 自分って一体何で出来ているのか?

 

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 「脳」「心臓」「体」「血液」「体液」医学的に言えばこう言った所でしょう。

 でも、その次に人間であるからには「言葉」があります。「言葉」を話せる動物は人間だけでは無いでしょうか?

 

 そして一番重要なのが「自我」「自意識」です。

 

 此処が形成されるには幼少期、特に三歳~六歳くらいまでの育て方が、その人のその後の人格形成に大きく影響していると言われています。

 

 そして「育ち」ですね。「氏より育ち」とはよく言ったものです。

 

 "氏より育ち” ー人間をつくるには家柄よりも教育や環境が大切であるということー 明鏡 国語MX第二版

 

 ですが今、育て方と言いましたが今の世の中「毒親」と言った言葉も成立している時代です。そして、「虐待」のニュース報道も止む事は無いです。

 

 とても悲しい事実です。私は、独身ですので実際に親御さん達が抱えている、悩みや孤独、不安、ストレス、そう言ったものは全て想像の範疇になってしまいます。

 

 理想の「親」像はありますが、それを将来奥さんになるかもしれない彼女に、価値観を押し付けるのも自分の「エゴ」なのではないでしょうか?

 

 それだけでは無く、生まれた時から、天涯孤独で施設で育つ子供も居るのも大きな事実です。

 

 実際、親の名前を知らない、家の住所を知らない、そう言った人と会った事があります。

 

 私はごくありふれた一般家庭に生まれ育ったので、その時は大きな衝撃を受けたのを記憶しています。

 

 そんな中、一体私達は何をどう信じればいいのか。

 

 宗教ですか?政治家ですか?先生ですか?牧師さんですか?お坊さんですか?学校の先生ですか?親ですか?芸能人ですか?ジャーナリストですか?

 

 それは、あなたの「直感」で決まります。それが全てです。

 

 ”直感”

ー推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえることー

”アプリ スマート辞書”

 

 この「感覚」というものが、人間誰しも備わっています。

 初対面で人と会った時、人は「直感」で何かを感じ取ります。

 

 「あっ、この人は何か良い人っぽそう」

 「あっ、この人とは合わないかも」

 

 人は、見た目だけで全てを判断できるものではありませんが、やはり最初に感じた「感覚」が最後まで印象として残ります。

 

 その時に、最も「重要」になって来るのが、その人の「言動」「一貫性」があるか、どうかと言うことです。そして、整合性が整っているかと言う事です。

 

 確かに、誰しもが人間であるからには「完璧」な人間等、この世には存在しません。

 時には、言ってる事とやってる事がチグハグな時もあるでしょう。

 

 ですが、「変えても良い事」「変えてはならない物」が存在すると私は思っています。

 「変えても良い事」とは「計画」「スタイル」です。この物事をやるにあたって、次はこうしよう、あぁしよう等「計画」は何度練りなしてもいいのです。

 また「スタイル」も同様です。

 

”Styleースタイルー”

5 個人や集団などに固有の、考え方や行動の仕方。

”アプリ スマート辞書”

 

 しかし、「変えてはならない物」とは「信条」であり「ポリシー」です。

 

 

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 ”信条”

1 堅く信じて守っている事柄。

 ”Policyーポリシー”

2 事を行う際の方針

 

 ここがブレて来ると、人はその人に対して不信感を抱く様になります。

 

 しかし、先程も申し上げましたが「完璧」な人など、この世には存在しませんから、時には「裏切られる事」も多々あるでしょう。

 

 しかし、その人がその事柄から、どう変わっていくのかが重要な見極めになって来ます。変わり続けるのか?変わらないのか?ここが、一番のキーポイントです。

 

 まず、自分の「直感」に従って「好きな人」を見つけましょう。

 

 政治家でも、先生でも、芸能人でも、歌手でも、タレントでも、ジャーナリストでも、まずはその人を好きになって、その人の言動を注意深く観察する事です。

 

 「目」「顔付き」「視線」「表情」「使う言葉」

 「思考」「思想」「所作」「立ち居振る舞い」

 

 何でも結構です。とにかく、その人を注意深く観察する事です。

 

 その人の「価値観」が、あなたの「良心」に沿っていれば、おのずと答えは見つかります。

 

 迷った時は、あなたの「直感」「良心」に照らし合わせて見て下さい。

 

 何を、どう信じようと個人の「自由」です。

 その答えが、あなたの「明日」を照らす「希望」になりますように。

 

 長々と、ご閲覧ありがとうございました。

 

 それでは、またの機会にお目に掛かりましょう。

 

 

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