3「私が考える本当の教育」
「教育」って一体、何なのでしょうか?皆さん、真剣に考えた事はありますか?
私は、学とは無縁の程遠い人生を歩んできたので、自分の人生観でしか話せませんが、ここには、こう記されています。
”教育”ー1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、心身両面にわたって、意図的、計画的に働きかける事ー
アプリ ースマート辞書ー
「望ましい姿」とありますが、学校の先生が「一個人として望む姿」なのでしょうか?
それとも、文部科学省の規定に沿った姿なのでしょうか?
私は学生時代、勉強が苦手でした。好きな教科はありましたが、それ以外は全然身に入りませんでした。
部活動もありましたが、それよりも勉強しているより、友達と遊んでいる方が数十倍楽しかったので、まず「遊ぶ」事が第一優先でした。
学校では、常に目立ちたがり屋で、何か行事があると決まって率先しながら、ムードメーカーを務めました。それが、私の青春時代でした。
当時、私は「勉強」する意味が全く分かりませんでした。数式や、公式、方程式は大人になったら、本当に必要な事なのか。
バチカン市国の大きさ等、働いている大人達にとって本当に重要な事なのか。
私が、今思う事は、やはりもっと「勉強」しておけば良かったと後悔しています。
それは、沢山勉強して、いい大学に入って、いい会社に入って、いい給料が欲しかったからでは無いのです。
学生時代「勉強」をする事によって「自分」の「可能性」が大きく拓けるのだと、あの時、気付いておきたかったのです。
私の個人的な理論ですが、人生には幾つもの「ステージ」が用意されていると、私は考えています。何歳から、何歳までがステージ1、何歳から何歳までがステージ2と言った具合にです。
そのステージで、踏むべき「ステップ」をキチンと踏んで来なかったから、今の自分が居るのだと私はそう思っています。
一生に一回しか無い人生、一生に一回しか無い学生時代、部活動に励み、多くの友人と時間を共にし、多くを語らい、時にケンカをしながらも友情を育むのも、大事な自分なりの「教育」でしょう。
思春期を迎え、多感な時期、時には恋をする事もあるでしょう。好きな人の事で頭が一杯になって、この想いを相手に伝えたくて、伝えたくて、毎日が苦しいのも大事な、自分なりの「教育」でしょう。
どちらも「青春」と言う名の公式でしょう。
だからこそ、大切な友人や、大切な恋人をもっと大事にする為にも、そして、自分自身の人生を、より実りある豊かな物にする為にも「勉強」が必要になって来るのでは無いのかと、私は考えます。
今の子供達に「勉強」をする事の「本当の意味」を説ける先生は、今の日本に一体どれくらい居るのでしょうか?
勿論、教師も人間ですから、個人の感情や、想い入れ、毎日のコンディション等も日々の指導に大きく影響するでしょう。
それでも、教師、先生と言われる方々には、日々未来ある子供達に「勉強」をする事で、
”君の人生の可能性が大きく変わる事”
”君の将来の選択肢が飛躍的に増える事”
”君の未来の時間が素晴らしい物になる事”
この三つを、常日頃から教え説いて欲しいと切に願って止みません。
「教育論」には、いつの時代も賛否両論、是非が問われ続けています。
頭ごなしに只、勉強しろ勉強しろと言っても子供達は、やらされている「勉強」になってしまい、いつまで経っても主体性の無い人になってしまいます。
「教育」とは「勉強」とは「学ぶ」事とは、ただ単に教科書に書いている事を、そのまま教えるのでは無く、そのまま覚えるのでは無く、
ノートを広げてペンを手にしている自分自身が、
ノートとペンを使って、これからの素晴らしい人生を描いていく事だと私は思っています。
これからの未来ある若者達が、しっかりと自分自身の「ステージ」の上で「ステップ」を日々、踏み続けて行く事を願っています。
長々と、ご閲覧ありがとうございました。
それでは、またの機会にお目に掛かりましょう。